たけの湯な日記

個人的な感想ー画像の「引用」が不安です.

ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~ 信友家の記録 

信友直子監督『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』2022,アンプラグド

「ぼけますから、よろしくお願いします」の続編であるので,
『~おかえり お母さん~』という副題で,
どのような構成かは,
予測がつく.

じぶんの親類の近況を
情報以上に,
この映像が構成する「家族」像を
教えてほしい,という気持ちで
観にいった.

**
この信友家の記録を
老老介護の状況」のドキュメンタリー映画
とジャンル分けするようなむきもあるけれども,
これは,
たまたま「老老介護」なだけ.

ジャンルとしては「家族の映画」.

親とじぶん自身が存在の証しとしての映画といえる.

映画評論家や観客がどのような評価をするかは,
そのつぎのつぎくらいにくる.

監督じしんが納得できる「家族」の像を
何度も繰り返し,構成してみたことだろう.
たぶん,
こうして公開したあとも,
さらに検討して再編集を続けるかもしれない.

映画として
「信友家」という家族の記憶がわたしたちに残れば
監督のしごとは上出来といえる.


***

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ぼけますから、よろしくお願いします。「予告編」

私たちは,信友直子の母親と父親が
たしかに生活していたことをイメージできればいいのだ.

そして,
家族が

老いていくこと,
病気になること,
たとえば
認知症になってしまうこと.
脳梗塞をおこすこと,
など,
死のトレーニングをすることが
やっとできる.

それは
親かもしれないし,
つれあいかもしれない.
あるいは
こどもかもしれないし,
自分じしんかもしれないのだ.

**
頭では理解していたとしても
現実におこっていくと
わたしたちは
運命をきりひらいていくどころか,

状況に引きずられてしまう.

観客の大半が
映画の半ばから
涙をこらえ
はなをすすりだして

信友家が
じぶんの家族として
イメージされていた.

**

この映画は
監督が自分自身の存在をかけた作品である.

ドキュメンタリー映画でありながら
社会や世界の問題を描き出そうという
つもりはない.
じぶんの家族が,両親がそこに
存在していることを確認したいのだ.

徹底的に個人的で内省的であるがゆえに,
観客でしかないわたしたち自身の映画として
みることができるのだ.


**
前作の難波での舞台挨拶で
「父のことも」映画にしたいということを
話されていた.

重要な人物の生き方を映し出してゆくことは,
『ぼけよろ』を
映画として構成していく
作家の基本作業といえるだろう.

**
わたしは,『ぼけよろ』を
実家―誰もすまない築60年のぼろ屋―の
まずテレビでみた.

映画化されて,難波でみた.
偶然,信友監督の舞台挨拶があった.

そのときは
お母様が作られたというゴダイゴの衣装風なのを
着ておられ,
その語り口が,内省的で思いを外にだそうと
する話し方が,

(失礼なみかたですが)
お金もうけとかに無関係なところに
むいてしまわれているようにみえた.

 

今回は,舞台挨拶があると
わかっていて,土曜日にいった.

たんたんと話されていたが,
わたしたち観客は
親戚のひとりとして話をきいていた.

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信友直子監督 舞台あいさつ

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