信友直子監督『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』2022,アンプラグド
「ぼけますから、よろしくお願いします」の続編であるので,
『~おかえり お母さん~』という副題で,
どのような構成かは,
予測がつく.
じぶんの親類の近況を
情報以上に,
この映像が構成する「家族」像を
教えてほしい,という気持ちで
観にいった.
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この信友家の記録を
「老老介護の状況」のドキュメンタリー映画,
とジャンル分けするようなむきもあるけれども,
これは,
たまたま「老老介護」なだけ.
ジャンルとしては「家族の映画」.
親とじぶん自身が存在の証しとしての映画といえる.
映画評論家や観客がどのような評価をするかは,
そのつぎのつぎくらいにくる.
監督じしんが納得できる「家族」の像を
何度も繰り返し,構成してみたことだろう.
たぶん,
こうして公開したあとも,
さらに検討して再編集を続けるかもしれない.
映画として
「信友家」という家族の記憶がわたしたちに残れば
監督のしごとは上出来といえる.
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私たちは,信友直子の母親と父親が
たしかに生活していたことをイメージできればいいのだ.
そして,
家族が
老いていくこと,
病気になること,
たとえば
認知症になってしまうこと.
脳梗塞をおこすこと,
など,
死のトレーニングをすることが
やっとできる.
それは
親かもしれないし,
つれあいかもしれない.
あるいは
こどもかもしれないし,
自分じしんかもしれないのだ.
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頭では理解していたとしても
現実におこっていくと
わたしたちは
運命をきりひらいていくどころか,
状況に引きずられてしまう.
観客の大半が
映画の半ばから
涙をこらえ
はなをすすりだして
信友家が
じぶんの家族として
イメージされていた.
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この映画は
監督が自分自身の存在をかけた作品である.
ドキュメンタリー映画でありながら
社会や世界の問題を描き出そうという
つもりはない.
じぶんの家族が,両親がそこに
存在していることを確認したいのだ.
徹底的に個人的で内省的であるがゆえに,
観客でしかないわたしたち自身の映画として
みることができるのだ.
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前作の難波での舞台挨拶で
「父のことも」映画にしたいということを
話されていた.
重要な人物の生き方を映し出してゆくことは,
『ぼけよろ』を
映画として構成していく
作家の基本作業といえるだろう.
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わたしは,『ぼけよろ』を
実家―誰もすまない築60年のぼろ屋―の
まずテレビでみた.
映画化されて,難波でみた.
偶然,信友監督の舞台挨拶があった.
そのときは
お母様が作られたというゴダイゴの衣装風なのを
着ておられ,
その語り口が,内省的で思いを外にだそうと
する話し方が,
(失礼なみかたですが)
お金もうけとかに無関係なところに
むいてしまわれているようにみえた.
今回は,舞台挨拶があると
わかっていて,土曜日にいった.
たんたんと話されていたが,
わたしたち観客は
親戚のひとりとして話をきいていた.
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