キム・デミョン『連鎖』2020,韓国
映画をみおわって
ふりかえると,
ほとんど憶えていない.
いっしょに見た人と
話しても,細部どころか
前後関係まで,
違う場合が多い.
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『連鎖』の原題は「石ころ」だという.
この映画をみた私たちは
どこに自分を置けばいいのか.
何をみたというのか.
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監督が演出・編集の責任をおうとしても,
私たち観客がスクリーンで人間をみるとき,
1対1ではなく,1対多の関係でしかありえない.
私たち観客は,5人であろうと200人であろうと
個的にみるほかになり.
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知的障害者ソックを演じたキム・デミョンが
監督キム・ジョンシクの意図を踏み外すことで
作品はしあがっていく.
同時に,周囲の人間たちにより
主人公はイメージとして自立していくのだ.
何ひとつ,確実な情報などないのに
私たちは,判断をし続けている.
家出少女ウンジに
ソックが何をしたかは
はっきりしていない.
青少年シェルターの所長の目撃と同程度にしか
わたしたちは
事実をしりえないし,それが「真相」である.
教会の司祭が示談をもちかけたから事実は存在したのだろう,
裁判になったのだから,犯罪者であることはたしかだろう,
報道されたから真実であろう,
というふうに.
裁判後
村の人は,ソックを受け入れることを忌み嫌う.
司祭だけは,ソックを信じる,守ろうと苦しむけれども
それは,ソックが性犯罪を起こしたという前提が心の奥底に
あった.
この映画は,
みる人それぞれの視点,価値観,状況把握により
さまざまな事実関係を想像させる.
さいごの1カットまで,
私たちは演技と自分の印象に
猜疑心をいだきながら
みることのできる映画だった.