『ありふれた悪事』2016
現代の韓国映画には
民主主義をかちとってきた民衆の姿を
描いたものがいくつもある.
ふつうの人が
命をかけて対峙している相手は
権力である,ということを
はっきりと私たち日本人に教えてくれる.
私たちが守るべきものは
政治的な国家ではなく
じしんの愛する人々でしかない.
なぜなら
国家は権力=悪が包んでいるからだ.
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『ありふれた悪事』これは
3回みた.
軍事政権下の3人の男が中心人物;
刑事のカン(ソン・ヒョンジュ)
新聞記者チュ(キム・サンホ)
国家安全企画部ギュナム(チャン・ヒョク)
が,この世界の構図を示し,
それぞれが
ひとりでその社会性を表現している.
とくに,
チャン・ヒョクの国家安全企画部の
エリート室長は
ことさらおさえた演技で,
権力の論理のぞっとする力を増幅する.
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言論弾圧は,
「今」の私たちの状況でもある.
(げんに私たちは,
正直に内面を語ることはしないではないか,とでも
耳元でささやかれるのだ)
実際,ジャーナリズムは分厚いマスクをかけているし,
警察の暴力はつねに国民にむけられている.
韓国ドラマや映画はジャーナリズムと権力の
関係を疑いながらも
ぎりぎりのところで,
その民主的な役割を信頼している.
これは,日本の大企業である商業ジャーナリズムの
立場とはまったくちがう.
(私がわかかったころは
新聞社も民衆のほうをむいていた)
韓国の人々はまだ,検察やマスコミを
信頼しているのかもしれない.
※ドラマ『操作』は,つぎの段階をみとおしている.
いや,私も若ければ
よばれれば
ほいほいとついていく犬にちがいない.
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キム・サンホの新聞記者は
信念をその眼光にも表していて
さいごまで,
親友のカン刑事をおもいやる.
それは弱者の悲しさであり,
生き方である.
これはけっして底辺のひとびとの
話ではない.
ふつうに野心もあり家族と友人を愛した
権力の手先の男の人生なのだ.
ソン・ヒョンジュ演じる刑事が
私じしんであるかのように
歴史を歩んでみせてくれる.