左幸子『沖縄の民』古川卓巳監督,日活1956
(Gyao)
初めて見たつもりが
歳をくっているために
かなり以前にみたおぼえがある.
こんな古い映画は若者どころか
中高年もみたいと思わないだろう.
そこをわかっていても,配信してくれるGyaoに
敬意を表したい.
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1944年
沖縄の学童疎開の船が
本土にむかう途中,魚雷で沈没.
沖縄に取り残された人々が
敗戦色つよい日本軍を信じ,翻弄され
死の道をあゆんでいく.
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国民学校教員真知子(左幸子)が生徒たちをまもるために
必死にとる行動と
なんとなく好き合っている学徒兵(長門裕之)と従軍看護婦マリ子(?)が
みた兵隊や民衆の状況が
映画の柱となっている.
※ききとりにくいのと,古い映像なので判別が困難.
他のかたのブログをみると長門裕之とともにいる少女を
左幸子とされているが,高友子ではないか.
妹がもう一人いて,桂典子のように思う.
ただし,私には3人とも不明.
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私たち戦後生まれの想像力より
はるかに強い現実感は,
戦争の記憶によるものだろう.
日本人のみたくない日本人がいる.
真知子と妹は,兵(西村晃)の案内で
芋をほり,アメリカ兵の銃撃から逃れる,
芋堀兵は真知子に見返りとして
関係を要求する.
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現在も,私たち男の性欲の闇がひきおこす
罪である.
シェルターでの性的搾取,
職場でのセクハラ,芸能界のパワハラ.
※「ない」といいきれるかどうか.
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戦後のいくつかの映画は
じぶんたちのつらい記憶をたよることで
リアリティを獲得している.
だからこそ
それは私たちの現在をも
描き出している.
【追記】
沖縄のこと,広島・長崎のことを
つらい経験として題材にする映画は
もう作られることはないでしょう.
何百年たっても
沖縄の歴史と文化を
学ぶことは
政治家やジャーナリストが
日本の現在を考える出発点であり,
私たちが沖縄の記憶を
失わないことが
日本人であることの
条件であるように思えます.