たけの湯な日記

個人的な感想ー画像の「引用」が不安です.

高峰秀子生誕100年『カルメン純情す』--実験的作品が許されたのかどうか?

木下恵介カルメン純情す』松竹, 1952

テレビで木下恵介「劇場」とか「アワー」というのが
毎週あって,
見るかどうかは,タイトルで判断していました.

全体的に,ホームドラマの印象があって
戦中派むけの番組に思えたから
すぐにみなくなりました.

映画監督だと思っていませんでした.

***

カルメン故郷に帰る』(1951)の続編として
カルメン純情す』を見ました.

大自然にある故郷に帰ってきて,
戦後の都会の影響を受けながらも
つかのま人間性をとりもどししていくカルメン
描かれたのに対し,

「純情す」は,都会で生きるカルメンたちの現実が
あります.

 

戦後の芸術,風俗と政治が直結した
抽象的な都市にひとびとは暮らしていました.

カルメン純情す』須藤(左;若原雅夫)の家族,女中(中央左;東山千栄子

木下恵介は,映画のほとんどを
傾いた画面で構成して,
落ち着きのない,不安定な空間を
映し出していました.

それらがすべて
カルメンが恋心を抱く前衛芸術家須藤(若原雅夫)の屋敷を中心に
都市空間全体がねじれているかの印象を与えます.

カルメン純情す』佐竹熊子(三好栄子)と娘の千鳥(淡島千景),元軍人(竹田法一)

須藤が持参金をあてにしている婚約者,千鳥(淡島千景)の
母(三好栄子)は日本精神党の反動的政治家でありながら
その家の中は「前衛」的な感覚に浸食されています.


**
私は,

この映画を見たことがある!

と,心のうちで確認しました.

「原爆ばあさん」とよばれる
須藤の女中(東山千栄子)のツートンカラー(画面では黒白)の
服装からであり,
この服をみたことと
彼女が原爆への不安をつねに口にすることに
既視感があるのです.

カルメン純情す』須藤(左;若原雅夫)とカルメン(右; 高峰秀子

都会にはびこる
男のでたらめさと
女の政治性,
当時の社会風潮を,
木下恵介は批判的に映し出しています.

ストリッパーのカルメン自身は
須藤に片思いすることで
人の前で
服を脱ぐことに疑問が
わき,やがて
拒否することになります.

カルメン純情すカルメン(高峰秀子)の仕事

前作で,
ストリップショーを「芸術」だという
当時の風潮を
コミカルに描きました.

今回,木下は,
カルメンの仕事として
ストリップと,
新しい仕事,絵画モデルの
どちらも「芸術」といってのける
時代性を
揶揄しているのです.

カルメン純情すカルメンの部屋に転がり込んだ朱美(中央;小林トシ子)と赤ん坊

実験的なカメラワークとちぐはくな会話による

政治的な
ブラックコメディーでありながら

骨としては
ストリッパーとしてしか生きる手立てのない
中年にさしかかる女性の戦後の物語が
おりこまれています.

***
[追記]
カルメン純情す』は
映像だけではなく,音楽も現代的.
人物たちのやりとりは
かつて学生演劇でみたような
シュールな会話劇でもあり,

いくつものデモのシーン
政治演説のシーンもふくめて
戦後史の資料として
価値があるものです.

カルメン純情す』裸を拒否したカルメンを支援演説する熊子