たけの湯な日記

個人的な感想ー画像の「引用」が不安です.

船越英二主演・市川崑監督『野火』--靴の話

市川崑『野火』1959年,大映

私の記憶があいまいで混乱していて
『野火』はカラーでみたようなつもり.

しかし,カラーの塚本晋也版は2015年のようだから
感覚では2000年くらいの作品の
気がしていたから,みたことも
はっきりしない.

市川崑のモノクロ作品は
何十年も前にみたのだが
ラストシーンを
まったく別のシーンととりちがえていて
そもそも『野火』だとは
思っていなかった.

***
1950年代の日本映画には
当時の時代を思い出させてくれる
ある種のノスタルジックな黴臭さか
麹のようなものがある.

私は,戦争を体験してはいないが
戦争体験の映画や漫画,大人たちの思い出を
うんざりするくらい
あびせられて
それが自分の経験であるかのような錯覚を
もっていた.

少し歳をとってから
大岡昇平の『野火』や小島信夫
読んだときのリアリティが
経験を超えている事実に
衝撃を受けた.

『野火』タムラ(船越英二)は野戦病院でもやっかいもの

主人公のタムラ(船越英二)が
ばつぐんにすばらしい.
ふつうの兵士.

市川崑『野火』気のよさか気のよわさか



しかし,レイテ島での軍隊生活に
まったくなじんでいないようだし
上官にも評価されていない.

カメラが,田村の背や横顔をとり
むしろ正面にとらえるのは
一癖も二癖もあるしたたかな
班長」や曹長のことが多いから,
田村の視線は,
みているわれわれの視線と一致してくる.

『野火』映し出されているのは田村を通した兵士

レイテ島の行軍は
生き延びようと敗退する日本人なのか
死に行くことを覚悟した兵士なのか
あいまいなままおこなわれる.

「サル」の肉を食べる/食べたという
人間という存在をおびやかす
問題がある.

私たちの世代にとっては
口数の少ない体験者が語った
真実の一つ.

『野火』永松(ミッキー・カーチス)の横顔をみつめる田村

雨の中,広大なレイテのジャングルを
さまよう敗残兵たちが
誰とはなしに
列をつくり
ひきあげていく.

私は,何十年も

この行軍,靴のシーンがラストシーンだと
思っていた.
日本兵たちは暗い歌をうたいながら
ジャングルにきえていくと.

『野火』斃れた兵士の靴を順に履き替えていく.

このシーンはたぶん小説『野火』ではなく
大岡昇平のエッセー「靴の話」ではないかと
思う.

履き替える兵士たちは
自分がいま履いている靴よりはまだましなのだ.

さいごに通りかかった田村は,
そのとりかえられた靴に底がないこと
じぶんの靴にも底がないことを
確かめて,
泥道の中,裸足になってしまうのだ.

戦場にも強者と弱者の経済の論理が
働く.
最低の弱者の田村は,そこを
つきぬけるしかなかったのだ.

じぶんは「サル」の肉はたべない.