『喜びも悲しみも幾歳月』木下恵介監督,松竹1957
高峰秀子生誕100年ということで
少し遠い映画館ではあったのですが,
『二十四の瞳』を見ました.
平日の昼,
私の世代でにぎわっていました.
現役世代はさすがにいない.
ほんとうは『細雪』と『息子よ,衝動殺人』を
見たかったのですが,寒かったり雨がふったりで
つごうがあいません.
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高峰秀子と高峰三枝子と混同していました.
どうしても高峰三枝子のほうを思い浮かべてしまう.
灯台守の夫婦,その結婚から子どもが自立する老年まで
の二十数年間(昭和7年から昭和31年??)を辿る木下恵介のドラマ.
ふつうの善良な人々の幸福と悲哀が
夫婦におこりうるイベントが取り上げられています.
四郎(佐田 啓二)は父親の葬儀に帰郷したところで
見合いをしたようで,花嫁(高峰秀子)を連れて灯台に
もどってきます.
上海事変から終戦・戦後までを
妻と(偶然,灯台守であったことで)徴兵されなかった夫の
目を通して,
周りの人々とのいくつかのできごとが
繋がっていきます.
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戦争にたいする見方は
女(高峰秀子)と男では,まったくちがいました.
サトイモの生える傾斜地の畑の草をかりながら
きよ子のその発言に四郎は「ばか」としかります.
どうせ負けることがわかっているような戦争なら
さっさとやめてしまえばいい,という考え.
きよ子のこの考えは,当時のひとびとの
ふつうの考えでしたが,口にすることは許されません.
四郎は,反論ができないので
「ばか」とおさえつけるしかなかったのでした.
戦争に対するこんな反省的な感じかたは
戦後の私たちにとってふつうでした.
映画だけではなく,
テレビドラマでも
戦争で失われた命や男たちのしわよせをくった女,
あるいは老人やこどもたちのすなおな後悔,
平和への祈りを代弁したものが多かったのです.
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今日では,それはすでに「政治的発言」とされ
他国での戦争を長引かせる支援だけではなく,
自国で戦争がおこったときにすぐに終わらないような
政策を考え直すことを口にすることが
できなくなっています.
沖縄を中心とした米軍のことは
ほぼ「自然」な歴史的事実として
受け入れるしかない時代になってしまいました.