吉永小百合の『キューポラのある街』(その1)
映画の記憶と記憶の映画『キューポラのある街』1962年
(Gyao)
この映画には私の記憶する時代があり,
私の知らなかった歴史があります.
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50年ほど前,高校生の映研が
視聴覚室で300円か200円でやっていました.
すでに,吉永小百合は国民的大スターであり,
私の少し上の人たちには理想的な女性.
私の周りには小百合ファン(サユリスト?)
はいませんでした.
感覚的に
映画は前世代のひとたちのもの
私たちは音楽の方に傾いていたからでしょう.
※古い映画はテレビで週に4,5本みることができたので,
70年代で,平凡な日本人は1000~2000本の映画を
みたともいえる,日本映画産業の衰退初期.
私が見たときは,
1962年から10年以上たっていたのです.
感動したことは覚えていても,
残っていた印象と全く違うし
「キューポラ(鋳物工場の溶解炉)」を「工場の煙突」だと
とりちがえてきたし,
夜に巨大な煙突がならんでいる画面を
思い出しもしていました.
(別の映画と混ざっている?)
***
埼玉県川口市,鋳物の街.
貧しい家庭のジュンの
成長をとおして
ふつうの人々が生きる姿を
とらえたドラマ.
私たちにとって,
二代目水戸黄門の東野英次郎が
鋳物職人の,どうしようもない「昔気質」の父親
を演ます.
※(たぶん)初代黄門は月形龍之介
戦後の経済復興につくした町工場の工員たちが,
自分たちが寄与した経済成長により
行き場を失い,さらに犠牲となって
貧しい生活を強いられる時代が
始まっていたのです.
ジュン(吉永小百合)は高校進学のために
ヨシエにたのんでアルバイトをはじめます.
パチンコ隆盛期,玉の補充は人力でおこなってました.
※父が横にいる私に,撃たせてくれたことを
覚えています.
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この映画には
もう一つの物語が描かれていました.
ジュンの弟タカユキとヨシエの弟サンキチの
交流.
サンちゃんの父親は朝鮮人で,
「ホクセン」へ帰るという話.
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この在日朝鮮人の一家は
主要登場人物であるのに,
私の記憶に残っていませんでした.
50年前みたときも
たんなるエピソードとして見逃し
作品じたいを
とりちがえていたのだと思います.
※歳をとったことと,
ネットで調べたので
今はややわかります.
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上野発・新潟行の汽車,
川口駅で見送くる人々.
見送る人々のなかには
サンちゃんの母親(菅井きん)は
いません..
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日本で
(庶民の夢ではなく)庶民の生活を描いた映画が
つくられたということは
幸運なことです.
少年タカユキの考えのない
日々のくらしぶりは,
私たちの日常の目の前にあったし,
ジュンのような貧しいけど可憐な優等生は
私たち少年にはあこがれのお姉さんの
イメージそのもの.
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もっとしっかり見ておくべき映画でした.