たけの湯な日記

個人的な感想ー画像の「引用」が不安です.

原節子の『晩春』--小津安二郎(1)

小津安二郎『晩春』昭和24年(1949)

1949年を思い出すには

すでに90歳くらいの人でないと
もう不可能でしょう.

私にとっても
戦後のイメージは
自分のうっすらとした記憶なのか
50年代後半からみてきた
映画やドラマのイメージによって
つくられたものなのか
もうわかりません.

****
小津作品は
若いころから,
何度もその高名さから
みようとしました.

繰り返し,テレビで
放映されてきました.

しかし,最後まで
みたのかどうかも
思い出せません.

 

『晩春』父(笠智衆)と紀子(原節子

今回,初めて見て
だいたいのシーンはしっていたし,
結末も知っていました.

広津和郎も読んだことがありません.

**
笠智衆杉村春子はよく知っていますが
大塚製薬三宅邦子をなつかく思い出しました.

『晩春』自転車での「散歩」

映画が,研究・分析の対象となるとき
何のために
分析されるのか,いつも疑問に思います.

撮影や編集技術の研究により
将来の映画製作の教科書とするのか,

それとも
作品のもつ,おもしろさは
どこからくるのかという
興味からなのか

あるいは
1949年,占領後半の時代・社会を
考察する史料として
研究するのか.

『晩秋』再婚した小野寺(三島雅夫)と紀子が「喜多川」で飲む

終戦後,
56歳の大学教授(笠智衆)と27歳の娘(原節子)の
二人の暮らしから
父が娘の人生を尊重して
結婚させる(家をでる)までのホームドラマそのもの.

朝鮮戦争の直前であり,
占領軍が日本の現状を左右していたころの日本人にとって

現代的でありながら,日本的にも
おもえる若い女性(これからの日本人)と
(息子ではない)


寡黙で生活力はないが
もう父親の権威をふりかざさない,
いつでも娘じしんやその考えを受け入れ,尊重する
父親(母親ではない)

という家庭は,
理想的な関係を獲得していたようです.

『晩春』能を鑑賞する父と娘

父娘で
能を観たり
京都でいっしょにとまったり

たしかに,男が思い描く
このましい父娘の関係です.