宇佐見りん『推し,燃ゆ』(河出書房新社)
若い人の書く,あたらしい小説は,
もう読む時間がないから,
さけようと思っていました.
家人のすすめの『推し,燃ゆ』.
驚いたのは,
文体の整い方.
私たちが
むかし国語で
ならったいい文章の見本
です.
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母が……クラクションを鳴らした.
押し殺すような……きこえない文句を言う.
姉が,……小さく息を呑む.
どうでもよいことばかり……動向をうかがっている.
いつもそうだった.気に障ること……姉がしゃべる.
だいぶん昔,……と聞いた.
(p.30)
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リズミカルで,心地よい記述にあふれています.
昭和の老人にとって
ひじょうに読みやすく,
語り手〈あたし〉の内部にめをすえることができました.
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18歳くらいの「あかり」が,
アイドルグループ「まざま座」の「真幸」を
「推し」としてのめり込んでいる1年半ていどの
心理ドラマです.
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私たちは,まるでじぶんのような
一人称の語り手,
サリンジャーの「ホールデン」にあいます.
三田誠広が日本語でかいた「僕」から
ずっと考え続け,
しくじってきた〈わたし〉の問題.
屋根裏の哲学者たちが
世界にける自身の位置を確かめようと
もがきつづけてきたことを知っています.
この作品に描かてれいるのは
現代の日本社会にいきる若者で,
自己を探求するではなく
〈アイドル〉を「推す」という
心的姿勢によって
どこかにしがみつこうとする姿です.
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世界に溶けていく自身をつかまえようとするのではなく
むこう側にしかいない「推し」を
さまざまな角度からアプローチし
対象化していきます.
じぶんさがしのために
旧世代は世界を対象化しようと
苦悶してきました.
こんにちの社会では
世界を特定することはもはや不可能で,
〈あたし〉は,アイドルの存在をとらえる努力をおしまないことで
日常をささえているのです.
すなわち,
世界を対象化するのではなく
対象を(いわば)世界化するのです.
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若い宇佐見りんは
ストーリーをおうことよりも
〈あたし〉の脳の内側を
すべっていきます.
何かがおこっているのではなく
おこっていることが何かということに
目がむけられているのです.
もし,何もおこらなければ
存在は対象ではなくなります.